前回の記事では、
FIRE後の「目標がない不安」と「目標を詰め込みすぎる焦り」、
目標を“コンパス”くらいの距離感で持つ工夫
について整理した。
ここまで来ると、次に出てくるのはもうひとつ別の、でもよく似たモヤモヤだ。
働いていない自分って、
社会の役に立てていないんじゃないか?
収入がない=価値がない気がする。
「何して食べてる人?」と聞かれると、少し気まずい。
ボランティアや副業を、罪悪感の埋め合わせのように探してしまう。
今日はこの「役に立てていない気がするモヤモヤ」をほどきながら、
FIRE後の「貢献」の捉え直し方を一緒に考えたい。
結論:FIRE後は「会社への貢献」から「生活圏への貢献」へ物差しを変える
FIRE後の“役に立つ/立たない”は、
「会社への貢献」から「生活圏への貢献」へと、物差しを変える必要がある。
- 年収・肩書きだけが貢献ではない
- 家族・暮らし・コミュニティ・学びも、ちゃんと「役に立つ行為」
- 大きなボランティアや壮大なミッションがなくてもいい
- 自分が「これなら気持ちよく続けられる」と思える範囲が、ちょうどいい貢献ゾーン
なぜFIRE後、「社会の役に立てていない気がする」のか?
① 長年、「貢献=仕事=お金」だったから
多くの人は、長いあいだ
社会に役に立つ=会社で働く=お金を稼ぐ
という図式の中で生きてきた。
- 仕事で成果を出す
- 給料という形で評価される
- 納税することで、社会保障にも貢献している感覚がある
この「わかりやすい貢献の形」が一度外れると、
- 収入がない
- 納税も減る
- 「役に立っている」という手応えが薄い
となり、自分の存在価値まで一緒に揺れやすい。
② “無職”ラベルへの世間のイメージ
FIREという概念を知らない人から見ると、
- 働いていない=無職
- 無職=何もしていない、というイメージ
で語られてしまう。
- 「何してる人なの?」
- 「仕事してないの?大丈夫?」
と聞かれるたびに、
自分って、ちゃんとしてないのかな…
という小さな棘がたまっていく。
③ 「大きなことをしなきゃいけない」圧力
FIREや早期リタイアの発信を見ていると、
- 世界一周
- 社会起業
- 大規模ボランティア
など、分かりやすく“すごいこと”をしている人が目につきやすい。
すると、
- 普通に暮らしているだけの自分
- 近所を散歩して、家族と過ごしている自分
が、「それだけでいいの?」と不安になりやすい。
そもそも「貢献」って何だっけ?を分解してみる
① お金だけが「役に立つ」のではない
わかりやすい貢献:
- 商品やサービスを提供して、お金をもらう
- 税金や社会保険料を払う
でも、それだけが「社会の役に立つ」ではない。
たとえば、
- 子どもを育てる
- パートナーのメンタルや健康を支える
- 高齢の親のケアをする
これらは、数字には出にくいけれど、
社会全体から見れば、ものすごく大きな貢献だ。
② 生活の半径の中にも「役に立つ瞬間」はたくさんある
少し視点を変えると、
- 友人の相談に乗る
- 地域でちょっとしたお手伝いをする
- ネット上で情報をまとめて発信する
- 誰かの悩みを軽くする文章を書く
こうした行為も、十分「役に立っている」。
「世界中の人の役に立つ」よりも、
「自分の半径数メートルの人にとって、いてくれて助かる」。
このレベルの貢献を、もっと評価していい。
③ 「ちゃんと生きる」も立派な役割の1つ
極論を言えば、
- 借金で誰かを巻き込まない
- 家族に暴力をふるわない
- 他人を攻撃する生き方をしない
というだけでも、十分「社会にとってありがたい存在」だ。
そこに加えて、
- 家族を大事にする
- 自分の健康を守る
- 周囲にささやかでも優しさを向ける
これだけで、かなり高得点な“社会貢献”と言っていいはず。
モヤモヤと付き合うための「貢献の再設計」
① 他人の物差しをいったん横に置く
まずやりたいのは、
- 年収
- 肩書き
- 職業名
といった「他人に説明しやすい物差し」をいったん棚上げすること。
紙やノートに、こんな問いを書いてみる。
「誰にも見せなくていいとして、
自分が“役に立てたな”と思えた瞬間は、どんなときだったか?」
たとえば、
- 子どもの表情がふっと明るくなったとき
- パートナーが「助かった」と言ってくれたとき
- 自分の文章に「参考になりました」とコメントがついたとき
そういうマイクロな瞬間を、
自分の中で「立派な貢献」としてカウントし直していく。
② 「マイクロ貢献ログ」をつけてみる
おすすめは、
1日1行レベルの“マイクロ貢献ログ”をつけること。
- 子どもと公園に行って全力で遊んだ
- スーパーで困っていた人に、さりげなくカートをどけた
- ブログで、自分なりの失敗談を正直に書いた
など、「これ、ちょっとだけでも誰かのためになったかも」を
自分で拾い上げて、メモしておく。
続けるうちに、
あ、自分は“何もしてない”わけじゃないんだな
という感覚が、少しずつ積み上がってくる。
③ 罪悪感でボランティアや副業を増やさない
ここで注意したいのが、
- 「役に立ってない気がするから」
- 「ちゃんとしなきゃいけない気がするから」
という罪悪感ベースで、
ボランティアや副業を詰め込みすぎること。
- スケジュールがパンパンになる
- 断れない
- しんどくなって、続かない
となると、FIRE前の働き方とほとんど変わらなくなる。
何か新しい活動を始めるときは、
・これは「やらなきゃ」よりも「やってみたい」が勝っているか?
・半年後も、このペースで続けるイメージが持てるか?
くらいを、軽くチェックしておきたい。
④ 「3つの貢献ゾーン」で考えてみる
FIRE後の貢献を整理するうえで、
こんな「3つのゾーン」で考えてみるとわかりやすい。
- 家の中ゾーン
- 家族・パートナー・自分の心身
- 家事・育児・介護・感情のケアなど
- 身近な人ゾーン
- 親しい友人
- オンラインコミュニティ
- 仕事仲間だった人など
- もう少し外側ゾーン
- 地域の活動
- ボランティア
- ネット上での発信・情報提供
それぞれのゾーンで、
- 今、自然にやれていること
- もう少しだけ増やしてもいいかなと思うこと
- あえてやらなくていいこと
を書き分けてみると、
「自分にとってちょうどいい貢献の形」が見えやすくなる。
僕の感覚
FIREは「社会から離脱する行為」ではなくて、
社会との関わり方を、自分で再設計し直す行為。
会社という“1つの大きな組織”への貢献から、
家族・友人・地域・オンラインコミュニティといった
いくつかの小さな円への貢献へと、重心をずらしていくイメージ。
「すごいこと」をしなくてもいい。
ニュースになるような活動じゃなくていい。
今日、自分の半径数メートルの人間関係が、昨日より少しだけ平和だった。
誰か1人の不安が、昨日よりほんの少しだけ軽くなった。
それを自分で「役に立てた」と認定できるかどうか。
そこに、FIRE後の「貢献」の本質があるような気がしている。
まとめ
- FIRE後、「社会の役に立てていない気がする」モヤモヤは多くの人に起こる
- 長年「貢献=仕事=お金」と結びつけてきた
- “無職”ラベルへの世間のイメージ
- 「大きなことをしなきゃ」という圧力
- 貢献を分解してみると:
- 子育て・介護・家族を支えることも大きな社会貢献
- 半径数メートルの人にとって「いてくれて助かる」だけでも十分
- 「ちゃんと生きる」こと自体も役割の1つ
- モヤモヤとの付き合い方:
- 他人の物差し(年収・肩書き)をいったん横に置く
- 「マイクロ貢献ログ」で小さな役立ちを拾い直す
- 罪悪感ベースでボランティアや副業を詰め込まない
- 「家の中/身近な人/もう少し外側」の3ゾーンで、ちょうどいい貢献を考える
次回は、「FIRE後、“また働きたくなったとき”の戻り方」をテーマに、
再び働くことをタブーにせず、お金・メンタル・プライドをどう整えるか整理する予定。
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